LINEでは句読点をつけない
「若い人とLINEする時、文章に句読点をつけないほうがいいわよ」
と友達が言うので、「えーっ?なんで?』』とネットで検索したら 出てきました。
「中高年は知らない…若者がLINEで句読点がついた文を心底嫌悪する本当の理由」
https://president.jp/articles/-/61340?page=1
文筆家の御田寺圭さんによれば、
「若者は、句読点がある“文書”を目にすると、自分の責任を追及されているような、
詰問に近いニュアンスを感じ取り嫌う。」のだそうです。
なぜ句読点を嫌うの?
「若者からすれば、句読点は「大人(中高年)」が自分たちに向ける“文書”に用いられているもので
往々にしてその内容は目的志向的で、なにより批判的なニュアンスが含まれていることが多い。
だからこそ、LINEなどのメッセージアプリ上で句読点がある“文書”を目にすると、
そこに自分の責任を追及されているような、
いうなれば「詰問」に近いニュアンスを感じてしまい、嫌なのである。(president articles)」
「ほんとだ」「心底嫌悪?・・・やばいかも」
まあそういえば、若者の会話を横で聞いていると、「・・・である。」と言い切ることをしないで、
「・・・・みたいな・・・」とか「・・・・かも・・・」とか最後に・・・・がつきます。
お互いに、自分の考えや意見をぶつけ合って、何か新しいものを見出していこう
というのではなくて、仲良くなるための会話だから、
意見や感情がぶつからないように、語尾を曖昧にして、
逃げ道を作る、工夫するのでしょう。
仲良しクラブの、何気ないやりとりで、意見の相違は、邪魔になるだけですから。
句読点=威圧感という感覚
そこへ「大人(中高年)」が書く「だから、何々である。」のような句読点がきいた文章だと、
若者たちは、大人の考えをを押し付けられたと威圧感を感じて、
「詰められている」「追及されている」「批判されている」といった、冷たい印象とうけとめる
若者の新しい「メッセージアプリ」であるLINE上では、チャット(会話の一形態)だけど、
中高年にとっては、短いメール(送信の一形態=文書)という、認識のずれが大きいようです。
中高年の私も、ブログを書いたり、仕事で文章を書くことが多いです。
偶然ですが、下書きの段階では、句読点をつけずに、空白を開けて、どんどん書いてゆく習慣がついています。
そして、アップする直前で、句読点をつけて提出します。
でもこれからLINEは このプロセスが省けますね。
将来には句読点なしの文章が正式に?
いずれ、若者のLINE方式 句読点なしの文体が
正式な公文書なり、小説なり、報告書なり、メインになる時代がくるかもしれません。