ワイワイこころトーク

句読点をつけない理由

2024年2月26日

LINEでは句読点をつけない

 「若い人とLINEする時、文章に句読点をつけないほうがいいわよ」

と友達が言うので、「えーっ?なんで?』』とネットで検索したら 出てきました。

 「中高年は知らない…若者がLINEで句読点がついた文を心底嫌悪する本当の理由」

https://president.jp/articles/-/61340?page=1

 文筆家の御田寺圭さんによれば、

「若者は、句読点がある“文書”を目にすると、自分の責任を追及されているような、

詰問に近いニュアンスを感じ取り嫌う。」のだそうです。

なぜ句読点を嫌うの?

 「若者からすれば、句読点は「大人(中高年)」が自分たちに向ける“文書”に用いられているもので

往々にしてその内容は目的志向的で、なにより批判的なニュアンスが含まれていることが多い。

だからこそ、LINEなどのメッセージアプリ上で句読点がある“文書”を目にすると、

そこに自分の責任を追及されているような、

いうなれば「詰問」に近いニュアンスを感じてしまい、嫌なのである。(president articles)」

 「ほんとだ」「心底嫌悪?・・・やばいかも」

まあそういえば、若者の会話を横で聞いていると、「・・・である。」と言い切ることをしないで、

「・・・・みたいな・・・」とか「・・・・かも・・・」とか最後に・・・・がつきます。

お互いに、自分の考えや意見をぶつけ合って、何か新しいものを見出していこう

というのではなくて、仲良くなるための会話だから、

意見や感情がぶつからないように、語尾を曖昧にして、

逃げ道を作る、工夫するのでしょう。

仲良しクラブの、何気ないやりとりで、意見の相違は、邪魔になるだけですから。

句読点=威圧感という感覚

 そこへ「大人(中高年)」が書く「だから、何々である。」のような句読点がきいた文章だと、

若者たちは、大人の考えをを押し付けられたと威圧感を感じて、

「詰められている」「追及されている」「批判されている」といった、冷たい印象とうけとめる

若者の新しい「メッセージアプリ」であるLINE上では、チャット(会話の一形態)だけど、

中高年にとっては、短いメール(送信の一形態=文書)という、認識のずれが大きいようです。

中高年の私も、ブログを書いたり、仕事で文章を書くことが多いです。

偶然ですが、下書きの段階では、句読点をつけずに、空白を開けて、どんどん書いてゆく習慣がついています。

そして、アップする直前で、句読点をつけて提出します。

でもこれからLINEは このプロセスが省けますね。

将来には句読点なしの文章が正式に?

いずれ、若者のLINE方式 句読点なしの文体が 

正式な公文書なり、小説なり、報告書なり、メインになる時代がくるかもしれません。